アジフライの憂い。

あと一歩の前進へ

「政治的な正しさ」という暴力を振りかざす弱者と、振りかざされる弱者。

ネットベンチャーの世界に出てきて以来、有名大企業なり官僚なりの道に進んだ同期の人たちとは疎遠になってしまったのだけど、久しぶりにあったりすると価値観が全然違うことに気づく。

彼らの発言の節々にはネットの世界では反正義として叩かれそうなマインドがたくさん詰まっている。「うつ病患者は遠い世界の可哀想なひとたち」「LGBTは笑いのタネにされても仕方ない人々」「会社が残業するなって言ってきて面倒くさい」などなど。もちろん彼らは悪い人たちではないし、単純にそういう層の世界の常識に染まるとそうなる、というだけの話なのだと思う。実際、そういう人に直面しても過度に差別的だったりすることもない。

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そんな中で過度にインターネットを見すぎた自分の価値観を振り返ってみると、必要以上に「政治的な正しさ」という暴力に怯えすぎているのかもしれない、と思う。正論や正義はインターネットでは無敵だ。これに反する人が捕捉され次第、総叩きにあっても仕方がない、という空気がある。セクハラ・パワハラ鬱病の人に対する厳しい態度、性的逸脱、未成年飲酒……ほかにも色々ありそうだ。現実の世界で他社に露呈してもさほどの痛手は受けないが、ネットでは炎上必死な事象はたくさん存在する。

そうなると、ネット上ではおとなしくしている他なくなる。オープンな空間で実名をつけて自由な発言…ができるのは失うべきポジションがないか、炎上を前向きに転換可能なポジションを取っているか。厳しい。

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もはや自由主義でもなんでもない日本のリベラルも、正義として振りかざすことで万能感を感じるために使われうるポリコレも、穏健な現実主義者に嫌われるとしたらそういうことなのかな、と思う。やみくもな正義を嫌う側も、正義を振りかざす側も、どちらも(本来何かしらで救われるべき)弱者側であるのがまたややこしい。どちらが悪いなんて、とても言えないじゃあないか。つらい。